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雷鳴
重そうな黒い雲が、向かいの島から海を渡って町にたどり着いた。丘の上から眺めていた。
町が雨に濡れていくのがよく見えた。
夕暮れの時間をむかえて、夏の太陽の熱気をためた町のアスファルトの、充血して重く腫れ上がった熱気が、雨を受けてすっと引いた。
蒸気がひいて、汗が流れる。雨が流す。
あいかわらず犬は吠えている。邪悪な生き物にも見える巨大な雨雲に吠えている。
僕は山のような雨雲のかたまりを眺めていた。まだこの丘には雨は降らない。
僕の中で出口を探してうずいていた膿の、傷の熱が。雨の気配と湿った風で少しずつその熱を冷ましていった。全身の血液が渓流のように涼やかに流れるような、どうせこれも錯覚だ。
僕は思い出した。
なにを、と言うと言葉にはしにくいのだけど、いつかここではないどこかの丘で、海の上に影を走らせる白い雲を眺めてた。ウエハースみたいにかぶりつきたいような岬の突端に座り。強靭な茎や葉をもった雑草の大地に守られ。絵画のなかに入ったような景色のなかで、そこでも僕は何かを思い出していた。この世界ではないようなどこかの丘で、なにかを思い出していた。
星が降り河が大地を削り、だれも生きて残っていられないようなもっと未来の、それよりもたくさんの声やとどろく音や感情の繊細な振動や、プレートがはじける強大な振動のすべてを吸い込んだ古いはるか昔の。幾たびも繰り返し眺めた海と雲を、遠くから思い出してた。
どこまでもつながってるような気になって、それをずっとたどると自分のいままで生きてきた時間よりもはるか昔までたどれてしまうような気がする。
前世なんてものはないけど、僕ではない誰かの記憶にも触れることができるような気がする。
遠く雷鳴がとどろく。町のアスファルトが蒸気をあげてやがて冷えていく。犬が鳴く。この丘にも雨が降りだす。
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