文章2 僕とくまちゃんず  そにー

 

くまちゃんずの音楽を聴くと、俺は、「うーん」と思う。俺の声、というのはなんというか、「モテたい、モテたい」という力の入った自我の主張を放っているように思えて少し恥ずかしい。思える、というのはコウスケの声との対比であって、コウスケの声、というのは、「ふんふーん、俺は世間なんて興味ないんだよー」という、世俗を脱した透明な釈迦的な声であり、俺は「うーん、負けている。俺、まだまだ甘い」と思うのだ。

 

酒の入った政治革命を目指したジ・アンダーグラウンズ、自然と一体でキャンプすることを目指したCHABMを経て、「くまちゃんず」は、欲望・世俗を超えた、まったく力の入っていない仏教的涅槃を目指している精神的バンドだ。

 

だいたいにおいて、コウスケと私、というのは似ているところがある。実は恐ろしく精神的・内省的・内向的なのだ。リアリティ感なんぞ生まれたときから喪失しておって、現実人生に価値を感じられない欠格者だ。家族や、恋人といった普遍的な幸福を味わえない哀れな博打野郎だ。ガス代の支払いが何より苦手だ。くまちゃんずが興奮できるのは、世界の仕組みに近づけるときだけなのだ。

 

だからくまちゃんずにおいてはタブーなく、力を抜いた感じで作曲・演奏するようにしているが、だからこそ、俺はくまちゃんずが恐ろしくなるときもある。

 

「時間はすすむ、俺らは老いる、いつかは死ぬ」こんなことに、正面から向き合って、大丈夫だろうか?怖い。だけど、俺らは、やるのである。歌で時間に勝つのである。