波時間

2018年9月17日

夜か重たい。ブラーを聴きます。
こうやって夏が暮れて行く。冬になると僕はまたあのへんてこりんな黄色いコートをひっぱりだして、もさもさ歩かなければならない。ほんまかなあ。信じられない。
世界はすべて誕生と消滅の繰り返しだという。
寄せては引く。波のまにまに。

たとえばこの呼吸ね。息を吸うというのは小さな誕生であるし、花がぐんぐん伸びてパッと開く過程である。そんでしおれてしわしわになって地面に倒れる。これが息を吐くということなんだ。 ぼくらは一日に何千回の生と死を繰り返している。
睡眠というのもそうだな。寝るということから死を連想するのはたやすい。 目覚めは毎朝一度の誕生だ。体の周期として一日にいちど。朝に誕生してぐんぐん成長して夕方頃から衰えはじめて死をむかえる。
呼吸よりも大きな周期で寄せては引き揺れながら生きている。

そんで。
もっと大きな周期がこの季節というものだな。
春に目覚めて夏にはぐいと胸をはる。秋は近くを見て考え込む。冬には目を閉じる。 一年のでっかい波です。いまは夏が終わろうとしているんだ。
これすなわちひとつの死にむかっている。せつないのお。

一年のでっかい周期よりもでっかいのはもちろん実際の誕生と死である。
もしかしたら間になんかあるかもしれないけど。とりあえず。
しわくちゃで生まれてしわくちゃで死ぬ。
考えはここからイメージの世界に入ります。
この実際の誕生と死よりも大きな周期はないものだろうか。
僕の一生を呼吸の一回と考えると、一日の周期に相当するものはないだろうか。

これを実感するには僕を僕のなかから飛び出させてやらねばならない。
呼吸一回を全生涯だと考えている「呼吸自我」というものには
一日周期の揺れを感じることはできないわけだから
次の大きな周期を感じるにはそのなかの限定自我から抜け出さないといけない。

周期の連続性を知るということがヒントになる。
「呼吸自我」は息を吐いた所で終了と思っているからいつまでたっても次の段階に進めないのだ。ひとつが終わるとまたそれは繰り返される。
消滅の後には誕生がある。
そしてまた消滅があり、おなじように誕生を迎える。
輪廻というやつだな。呼吸もひとつの輪廻だ。
きっと呼吸よりも小さな周期の輪廻もあるだろうな。
それは心臓の鼓動かもしれない。トクトク。休まない。
収縮と拡散の繰り返し。寄せて返す波の運動だ。

とくにだれかの心を安心させるために書いてるわけじゃない。
輪廻という考え方も救いなわけではないんだな。

どこに意識を集中させるかという事だと思う。
呼吸に集中してみたら。「はいて、すって、はいて、すって」
肺が空気を吸って。こんな音が体の中でする。吐く時は思考が止まる。
いうふうに呼吸に集中したらあなたは寝てしまいます。知らんまに。寝ちゃうよ。
もしも一日に集中したら。ぐっと一日のことだけを考えてその日だけを送っていたら
冬があっというまに来てしまうに違いない。
とてもむずかしいけれど一年という周期に気持ちを集中させることができたらきっと あっというまに死をむかえるにちがいない。
どこに集中するかちうこれ。  (K)