勝負ぜえ

昨日ひさしぶりに英語学習関連サイトを見ていて「もしかしたら、僕は英語ができるようになるということはないのではないか。」と思った。

てっきりいつか英語ができるようになるもんだと思っていたけど、無理なんじゃないかと突然気付いた。年を取るというのはこういうことなんだなと思った。

英語ができるようになるということをあきらめて、僕にできることをやろう。
たとえばギターをうまく弾けるように練習するとか。あとはコインをパッと消せるように手品の練習するとかね。

自分にできることを選ばなくてはいけない。時間には限りがある。
人間には向きと不向きがある。そうだ、あとケヴィン・ノーランのにわとりダンスの練習もしよう。うまくパタパタできるように一所懸命練習しよう。

人はこうやってひとつひとつ、やりたいことやなりたい自分をあきらめて生きていくんだ。人生のかなしみは年を重ねるごとに濃さを増す。紅茶みたいに。

そうやって哀愁にひたってイジイジと海外ドラマなどを見ているうちに、いやひょっとしたら英語できるようになるかも。と思えてきた。どこからか僕の中の中学生みたいな懲りない番長が戻ってきて、いや、できるようになるな。たぶん僕はなんでもできるな。って思った。

足りないのは「強い動機」。これだけだ。英語をしゃべれたい。という毎日の生活のさざ波に揺すられてもびくともしない強い動機付けが必要なだけだ。

やるぜー