何度も書いているような気もするけども。

2020年11月19日

写真について。

だいぶん昔の話。僕が中国からベトナムに行った時の話。

ベトナムと中国との国境の事務所みたいなのはまわりになにもない山の中で、ちょうど須磨浦山上遊園みたいなさびれたコンクリートの建物だった。
いろいろあったんだけどとにかく僕は国境を越えて、一番近い街までベトナム人のお兄さんのバイクの後ろに乗せてもらって運んでもらった。もちろんお金は取られた。

一番近い町は舗装もされてない埃っぽい小さな町で、バイクのお兄さんと道端で言い合いをしていたら近くの家の二階からおばさんが顔をだして「うるさいよ。なにを言い合いしてんのさ。」みたいなこと言ってた。

僕は自分がどこにいるのかもわからなかったし、その小さい町がなんていう名前なのかも全然わかってなかった。

ハノイ行きの電車に乗って窓からベトナムの山の景色を眺めていた。山から山が連なって、谷が見えたり川が見えたり。車両はがらがらで旅行者も、ベトナム人さえほとんど乗ってなかった。

でも、同じ車両のベトナム人のお兄さんが駅に止まったりするたびにいろいろと話しかけてくれてなんだか世話を焼いてくれてた。お兄さんはたぶんベトナム語しかしゃべれないし僕は日本語しかしゃべれない。僕の知ってるベトナム語は簡単なあいさつと「ムォ」だけだった。ベトナム語のムォは蚊っていう意味。 

だから僕の近くを飛んでる蚊を指して「ムォ」と言ってみたら、ほんとだね。蚊がいるね。煙草吸う?みたいな感じでお兄さんが相手してくれてた。ベトナムの煙草はおそろしい。

電車は山の中の駅で止まったっきり動かなくなって、いつ動き出すんだかわからない。僕は開いた窓から外を眺めて、お兄さんはどこかへ行ってしまった。
天気は良くて山の緑は本当に明るかった。 

駅のまわりにはさすがに家がいくつか集まっていて、物売りなんかもいたように思う。僕が窓から眺めているとたぶん近所に住んでる子供達が集まってきた。なにを言ってるんだか全然わからなかったんだけど、旅行者が珍しかったんだと思う。8人ぐらいだったかな。小学生ぐらいのから小さいのまで村の子供達が窓の外から「なあ、どっから来たん?」「おっちゃんどこ行くん?」みたいなことを言っては、じゃれあってた。

僕がカメラを向けると「カメラだー」って感じでちゃんとポーズをとってくれた。しばらくすると電車も動き出して僕はその山の中の村の様子も何枚かカメラにおさめた。良い写真が撮れたと思った。

それからちゃんとハノイに着いて、ドミトリーに行ってみると日本人の旅行者が何人もいて安心したんだけど。

それで何が書きたかったかと言うと、結局山の村で子供達を撮ったつもりだったんだけど写真は撮れてなかったってこと。その後ハノイで何枚か写真を撮って、いくら撮っても撮れるし随分たくさん撮れるフィルムだなと思って確認してみたらカメラにフィルムが入ってなかった。

僕は中国からベトナムまでフィルムの入ってないカメラのシャッターをぱちぱちと押して歩いてたわけ。中国の公園でおじさんに「シャッター押してください」ってお願いした記念写真ももちろん撮れてなかった。

ハノイのドミトリーのベッドの上でそのことに気づいた時、軽いショックを受けつつもまあいいかと思った。写真なんかいらないと思った。
写真を引っ張り出してきて思い出を齧りながら生きていくなんてごめんだと思った。大切なことは頭に残っているし、景色や人の笑顔が見たくなったらまた出かければいいんだと思った。

こんな旅行なんてやろうと思えばいくらでもできるし、どんどんいろんな所へ行って、新しい景色や人と出会って思い出を齧るような時間も、そんな気持ちさえも起こらないような人生を送ればいいんだと思った。

この話は何度も書いているような気もするけども。

フィルムの入ってないカメラで撮った40枚ほどの写真のことを僕はたまに考える。本当は写っていたはずの写真のことを考えて、フィルムが入ってなかったのは良いことだったんじゃないかなと思う。

僕のまぼろしとなった写真のことを考えるたびに、僕は若さというものや年をとるということに関して毎回ちがった発見をすることになる。今回もトイレの中でポール・オースターの小説を読みながら考えていくつかまた発見をした。

今度そういった旅行をする時にカメラにフィルムを入れておくべきかどうかというのは、なかなか考え所ではある。