みしま
三島由紀夫の「金閣寺」をパラパラと読んでいました。
最初から集中して物語を追っていくという読み方は今はできないので、適当を開いて開いた所から適当に読み出しては切りのいい所で放り出して、というまったく不真面目な読み方をしていました。
それでもすさまじいと思った。
この集中力というか気迫というか、これだけの密度の文章を物語にして書ききるというのはちょっと理解を超えている。 ボクシングの試合を何時間もしてるような、人間離れしているような印象を僕は受けます。
「私」と言う人物が旅にでて舞鶴に降り立ち、雪の中を河口に向かって歩く場面があって、川岸から河と中州とを見渡して時雨に降られるという場面があります。
時雨は河を打ち洲を走ってやがて「私」の上にも降りかかります。
一瞬で通り過ぎたその時雨の場面を読んだ時、小説の文字、開いたページのこの両手で支える紙の表面から、海の近い河口に吹く風や通り過ぎた冬の雨の匂いが匂い立って体に浸み込んでいくような感覚がありました。
本当にまったくこの作家の情景の描写はすさまじいものがあると思います。
もしかしたらスタンド能力かもしれない。