2025年12月10日

子どもが他の子と遊んでいるところを見る機会は多くはないんだけど、たまに同じ年頃の子どもと遊んでいるところを見るといろいろと考えてしまう。

比較をしてしまっている。それは良くないことなんじゃないかと思う。子ども側としては他の子と比較はされたくないんじゃないか。比較ってのはだいたい、うちの子はもっとこうであれば良いのにって考えてるってことだから。そんなの気持ちいいわけない。

だけども。例えば勉強とか、他の子の進み具合を見ないことには平均的な進み具合がよくわからない。うちの子はまだカタカナがまったく読めないんだけど、他の子は結構読めたりする。そういうのはやっぱり、もっとがんばれとお尻を叩くべきなのかなとも思う。

自分からもっと世界に興味を持って欲しいなと思う。自分でカタカナが読めたら自分でポケモンカードに書いてあることがわかるようになる。それってすごい便利やん。世界広がるやんと思うんだけど、子どもは特にそれを求めていないように見える。たぶん家族の中で、満足している。カタカナ読めなくても満足なんだと思う。すげえな。

子どもには家の中で安心して欲しいと思う。なにかに怯えたり不安を感じたりしないでいてくれたら良いなと思う。だけど、それでは人は何かを求めないのようになるのかもしれない。自分が今とは違う自分になりたいと、思う必要がないのかもしれない。ハングリーさみたいなものがないと、自分の能力を引き出そうとがんばる動機がないのかもしれない。

だからと言って、嫌だと言ってるのにスイミングに通わせるとかもなにかしっくりこない。自分がそういうのが嫌だったからだと思うんだけど。でも泳げるようにはなった。

子どもががんばらない気持ちはよくわかる。ぼくはがんばらなかった。そんな親が子どもをがんばらせるのは無理がある。だから、ぼくは今からがんばるべきなんだと思う。もうそれしかない。ぼくが子どもにがんばるということを教えるために、ぼくが今がんばるべきなんだろう。なるほど。そうなりますか。

まいったな。