援軍求む
男は家を出ると7人の敵がおるとか。おらんとか。あー。ふむ。
いかんいかん。曖昧な事を言ってはいかん。おるらしい。7人も敵がいるんだってさ。ちょっとぞくっときたよ。この僕にもきっと7人おるんやろな。憎みまくってる人が。こえーよ。いらんいらん。ぞくっときました。
僕はできるならもう部屋にたてこもりたい。「殿!援軍でござる!」「あー。いらんいらん。」
そういう生活。できんね。だから援軍求む。援軍に囲まれて生きていきたい。今日この頃。
できることなら50年代のアメリカ人に生まれたかった。しかもすごぶるぶる裕福な家庭で、なくともよい。「おとうちゃん。車貸してくれよ。ダンスパーテー行くんだよ。」54年型シボレイとかなんかそんなん。
「あー。だめだだめだ。芝刈りをしなさい。500回。」なんてこと言われてしぶしぶごりごり芝を刈る。「へーい!映画行くっぺよ!」「あー。だめだめ。芝刈りせんといかんの僕。ごりごり。」なんてね。友達はエルビスプレスリーに心酔しておるさかいのテカテカリーゼントなのだ。「しかたねえなあ。手伝ってやるからほら。」なんて言ってくれる友達であればなおよし。
や。オールディーズを聴いてるからこんなことを考えるわけですけどね。
夢はきっとかなう。思いつづければ人はなんにでもなれる。神様、僕を50年代アメリカの高校生にしてください。いい子にしますから。無理?
援軍は来ない。しかたなし。僕には優秀なおつむがある。自力で切り抜けるよろし。
しかし疲れるねえ。誰が決めたかこのルール。しもじもの者達は従うのみ。や。僕はやだよ。もういやだ。やんぴだ。
発見したのだ。昨日ね大正九年の「驚き一発」を聴いててひらめいた。仕事をしなくても食っていく方法。
お野菜を育てればいいのだ。庭で。いままでのスイカとたまねぎの経験を活かして。雑草と一緒に育てるという灰谷健次郎式無農薬栽培。野性味あふれるお野菜ができるらしいよ。ほんと。それを季節ごとに食う。がんがん食う。とりあえず食えれば死なないでしょう。
盲点であった。いかにしてお金を得るかというところから話をはじめるから限定されるのである。いかにして死なない程度に食うか。ということを課題にすれば可能性はひろがる。お金というのは中間の媒体であるのだ。「労働・賃金・食物」という三段階から「労働・食物」という二段式にすればいい。すっきり。
そのためにもまず今のうちから我が家の庭の土を肥やさなければならない。だもので僕はせっせと生ゴミを庭にまき散らしているのだ。おかげで四つ葉の雑草がどっさりはえてきた。ちょっとしたジャングル。あれ食えたらなあ。おお!また発見。
鍛錬であるかもしれない。労働に費やす時間を自己鍛錬にあてる。そうして庭にどっさりもっさりはえまくっている四つ葉の雑草から栄養分をフルに吸収できるような強靭な胃腸を育て上げるのだ。こういうのを発想の転換というのだね。偉いね。
発想の転換と言うのは往々にして文明をひらいたりテクノロジーの進化に結びつくものなのだ。
イメージ。やや。ウエイブの予感。ぞくっとくるね。
こういうふうにも言える。人類は四つ葉の雑草を食うということを思いつかなかった。今までは。だからこういう資本主義とかいう不出来なシステムに甘んじるしかなかったのだ。しかしもう安心。僕がたったいま思いついたから。雑草食ってパラダイスを作ろう。
あたまごちゃごちゃ。援軍求む。