本「色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年」村上春樹

ひさしぶりにハードカバーの本を買った。
村上春樹の新しい長編小説です。新しいといってももう2年も前のものだけど。

長さもちょうど良くて、話もおもしろかった。
羊のシリーズとか、1Q84などよりも「スプートニクの恋人」なんかに近いような気がします。

どういう話かというのをここに記録してもあんまり意味がないような気がする。
村上春樹の小説はおもしろいとかおもしろくないということではなく、これを読んでいるときに僕がどんな影響を受けて、読み終わった後に自分がどんな風に変化したかということを記録しておいた方がいいような気がします。
そんなものは人それぞれだとは思うのだけど。

丁寧に読んだ。
できるだけ描写されている人物や風景を頭に思い描きながらじっくり読んだ。時々読みながら他の事を考えて、目が文字の上を滑っていってたりしたので、その度に何行か戻って読み直した。

過去から現在までの時間の流れがあって、名古屋とか東京とか新宿駅とか、そういう空間があって、人が何人か時間と空間のどこかに存在している。そういう世界が創られてその中で人たちが話したり移動したり、出会ったりする。

ストーリーというのは、その世界を存在させるために仕方なく存在しているような気がしていて、あんまり僕はストーリーがなにかを象徴しているとか暗喩になってるとかそういう解釈の仕方ができないのだけど。
だから結局物語としてなんだったのかというのはちょっとわからない。

今、部屋を何往復かしながら、床に落ちてたデビルスティックの練習とかもしながら結局どういう話だったのかをじっくり考えてみた。
多崎君は救われたのか。物語はハッピーエンドを迎えたのか。
じっくり考えてみたけど、ハッピーエンドな感じがしない。この物語の終わった後にも多崎君には多崎君の人生が続いていて生きていくんだと思うけど、どこまでいっても彼には色彩はなく孤独で救われないような気がする。

羊のシリーズから一貫して、おそらく村上春樹の小説にでてくる「僕」とか主人公というのは観察者でしかなく、自分から人生とか世界に関わろうとしていない。生きる意味がわからないというか、目的がない。
まわりでいろんなことが起こっても、結局同じところに帰っていく。

こういう印象が、作者の心情を反映したものなのか、読む人のそれぞれの心の持ちようでいろんなことを感じさせてくれる小説なのか、それはちょっとわからないんだけど。
ただ、僕の個人的な感想としては、村上春樹と言う人はずっと人が生きる意味とか目的とか「生きるってなんだろう」っていうことを書き続けていて、それを見つけられるかもしれないと思って書き続けてるかもしれなくて、今回もそれは見つからなかったということかもしれないなと思った。

作者と同じようなことを、はっきりと言葉にできないけれど感じている人が世界中に何億人かいて、特に若い人は切実に答えを求めていて、作者と一緒にその探求の旅をすることで、おそらくその道中で、自分のお腹のあたりでもやもやしてる不安みたいなものに名前を付けることができて随分助かってるんじゃないかなと思った。
意味とかはそれぞれが自分で考える。

そういうわけでやっぱり、この色彩を持たない多崎つくる君はどこまでいっても色彩を持たない多崎君で、みんな彼を駅のようにしてただ通り過ぎてそれぞれの場所に向かうんじゃないかと思いました。

いろいろ考えさせられる良い小説だった。