日記


お風呂に入っている時に考えたんだけど、どうやらこの住み慣れた家を離れるということが寂しいようだ。どうやら。

思ってる以上に、さみしくなってしまっている。ということに今さらながら気付きました。

これほどさみしいのは、おそらく、こどもたちとの思い出というやつがあるからなのだと思う。たぶん、大人だけで住んで、引っ越しをするのであれば、これそど寂しくはならないと思うのだ。

このお風呂で、いっぱい遊んだなあとか、このおもちゃで魚ごっこして遊んだなあとか。どの部屋にもどの壁にもこどもたちとの思い出があるようで、それがなくなってしまうようでさみしいのだと思う。それはそうだよ。

上の子は幼稚園の3年間をまるまるここで育ったのだし。おかあちゃんが出産で入院する時に2人で遅くまで遊んでたのもここの部屋だし。このテレビでたくさんアニメとかゲームしたりしたし。起きてからこの部屋で寝転がってテレビ見てるのもたくさん怒ったし。下の子はこのテーブルで、いっぱいご飯撒き散らしたなあ。とか、考えてそれはさみしくなる。

そんなことに気付くのが、この家で生活するのも残すところあと4日という、このタイミングというのもなかなかすごいな。いままで気付かなかった。

でも気付いたからもう大丈夫だ。次の場所でも新しい思い出はたくさんできますので大丈夫だわ。良かった。

ここの生活もたのしかった。良い家だった。その上で、メンバーが増えて手狭になったから家を変わるのも大正解だし。次の家もすごく良い家が見つかった。だから、良いことしかない。全部これ以上ないという選択をしてきたから、あとは運だ。

よくここまでやりました。いえい

日記

一月です。一月になりました。

子どもたちの様子を記録しておこうと思います。

上の子は、最近はもっぱらポケモンに夢中のようです。でも、夢中というよりは夢中になりたいように見えます。クリスマスにはニンフィアというポケモンのぬいぐるみをじっちゃたちに買ってもらって寝る時もベッドに持って行っているけど、ポケモンってそんなに夢中になるようなものかなとも思ってしまう。

プリキュアならわかるけど、ポケモンは、まだあの年ではポケモントレーナーに感情移入するわけでもないし、ゲームのルールもまだよくわからないだろうし。だからきっと、幼稚園のお友だちなんかがポケモン大好きで、自分もポケモン大好きな子になりたいんじゃないかなあと思いながら様子を見ています。

幸いなことに、ぼくも最近になってポケモンのことがわかるようになってきたので、いろんなポケモンのことを教えてあげたりしている。そうして、おとうちゃんはポケモンに詳しい、というある一定の評価をいただいているような気がする。

それもまた、ちょっとむなしいような気もします。

例えば、ギターとか、音楽のこととか、自分なりに夢中になったものとか、昔、熱量を持って取り組んでいたものであれば胸を張って教えてあげたり、ギターに夢中になってくれて嬉しいなあとか思うんだと思うけど、ポケモンは、ポケモンかあ、良いと思うけど、そんなに好きになるもんなのかなあ、と思ってしまう。

おとうちゃんは、リザードンが好きやもんな。リザードンexが一番好きなん?って聞かれて、そうやで、やっぱりリザードンは強いからな。とか答えて、どこか申し訳ないなと思いながら話を合わせている感じがします。

子どもとともに成長すればいいとは言われるけど、子どもの感性とか、人間関係への対処の仕方とかを見ていると、大変そうだなと思うし悲しくなってしまうことも多いので、まずぼくが親としてもっとたくましくならないといけないのだろうな。

子どもが、その世界の中で友だちに受け入れられるために何かを好きになろうとしたり、何かしらのカーストみたいなものに認められるために誰かを傷つけたりというようなことが今後起こったとしても、大人になるための経験だと思って見守らないといけない。

きついなあ、と思う。

その点、ぼくの奥さんは、しっかりたくさん上の子のことを見てるし、同じ女子であるということもあって、動じないところがある。頼りになる。

子どものそばにいると、悲しくなることも多くて、なるほどこういう大変さもあるんだなと思います。

できれば、子どもには悲しい思いとかつらい経験をしないで欲しいと思ってしまう。そんなことでどうしますか。人として、悲しみを知っている方が優しくなれたりするのだから。と、そうやって親のみなさんはがんばっているのだ。たいへんなことだな。

下の子が、日ごとに人間らしくなって、イヤイヤみたいなものも激しい感じになってきたけどだいぶかわいらしい仕上がりになっていて、そのことも上の子を不安にさせるようです。

親が下の子に構う時間も増えて、自分だけが家族の中心だったものがだんだんと下の子の存在感が大きくなってくる。

そういうものも、きっと乗り越えたり、傷が残ったりしながら、深みのある人になっていくのでしょう。なって欲しい。

おとうちゃん、お風呂、2人で入ろう。って言ってくれるのも今のうちだろうし、気付けばこの大変だけど楽しい時間もあっという間に過ぎ去ってしまうのだろうとは思う。

でも2人でお風呂入るの大変だし、魚のゼンマイで泳ぐおもちゃと、猿のジョージのマクドのハッピーセットのおもちゃと、ゾウのジョーロとで、悪者と良い者つくって、小さい宝石のおもちゃをタコの赤ちゃんってことにして、海の世界の冒険みたいな遊びを毎回やってるんだけど、本当にこれは楽しいのだろうかとか考えだして、遊んでもらってるのは僕の方なのではないだろうかとか思い出して、不安になったりします。

ほんまに、こんな感じでええんかなと思いながら毎日やってる。

でも、先日、おとうちゃんの口は寝てる時にうんちのにおいがする。って言われたのは、なんか良かった。良い感じに育ってるなと思った。

日記

子どもが他の子と遊んでいるところを見る機会は多くはないんだけど、たまに同じ年頃の子どもと遊んでいるところを見るといろいろと考えてしまう。

比較をしてしまっている。それは良くないことなんじゃないかと思う。子ども側としては他の子と比較はされたくないんじゃないか。比較ってのはだいたい、うちの子はもっとこうであれば良いのにって考えてるってことだから。そんなの気持ちいいわけない。

だけども。例えば勉強とか、他の子の進み具合を見ないことには平均的な進み具合がよくわからない。うちの子はまだカタカナがまったく読めないんだけど、他の子は結構読めたりする。そういうのはやっぱり、もっとがんばれとお尻を叩くべきなのかなとも思う。

自分からもっと世界に興味を持って欲しいなと思う。自分でカタカナが読めたら自分でポケモンカードに書いてあることがわかるようになる。それってすごい便利やん。世界広がるやんと思うんだけど、子どもは特にそれを求めていないように見える。たぶん家族の中で、満足している。カタカナ読めなくても満足なんだと思う。すげえな。

子どもには家の中で安心して欲しいと思う。なにかに怯えたり不安を感じたりしないでいてくれたら良いなと思う。だけど、それでは人は何かを求めないのようになるのかもしれない。自分が今とは違う自分になりたいと、思う必要がないのかもしれない。ハングリーさみたいなものがないと、自分の能力を引き出そうとがんばる動機がないのかもしれない。

だからと言って、嫌だと言ってるのにスイミングに通わせるとかもなにかしっくりこない。自分がそういうのが嫌だったからだと思うんだけど。でも泳げるようにはなった。

子どもががんばらない気持ちはよくわかる。ぼくはがんばらなかった。そんな親が子どもをがんばらせるのは無理がある。だから、ぼくは今からがんばるべきなんだと思う。もうそれしかない。ぼくが子どもにがんばるということを教えるために、ぼくが今がんばるべきなんだろう。なるほど。そうなりますか。

まいったな。

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